松山小の歴史

明治42年
明治44年
・ 豊橋市狭間尋常小学校開校
・ 狭間小児童数1327人に増加
狭間尋常小学校
明治45年 ・ 狭間小から分離独立
・ 松山尋常小学校開校
・ 学区は東海道本線以東から牟呂
 用水以南柳生川まで
・ 狭間小から450名が松山尋常小
 学校へ転入
・ 児童数507名で開校
松山尋常小学校【開校時】
昭和11年 ・ 松山小開校25周年
・ 鉄筋校舎竣工
  (教室12、特別教室2、木造教室10)
鉄筋校舎が完成した当時の様子
昭和12年 ・ 松山小プール竣工
  (幅10m、長さ25m)
戦前のプール
昭和16年
昭和17年

昭和18年
・ 豊橋松山国民学校となる
・ 高学年手旗信号、閲兵訓練導入
・ 銅製の二宮金次郎像、国へ供出
・ 戦火ををさけて学童疎開盛ん
きびしい集団訓練
昭和20年 ・ 豊橋大空襲により、松山小・狭間小
 木造校舎全焼
・ 狭間小は鉄筋校舎の屋根も落ちる
屋根が焼け落ちた狭間小講堂
昭和20年
昭和21年
・ 終戦
・ 疎開先から児童戻りはじめる
昭和24年 ・ 松山小へ狭間小の児童受入れ
・ 狭間小、40年の歴史を閉じる
・ 校舎増築竣工
公民館に生まれ変わった狭間小学校
昭和25年 ・ 新校章制定
狭間小と松山小の校章を組み合わせできた校章
昭和40年 ・ 松山小プール竣工
新装なったプール
平成4年3月 ・ 松山小創立80周年
・ 校舎竣工記念式典
建設当時の校舎